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潮田神社祭礼

アップするのが遅くなりましたが、先週の土日に潮田神社の祭礼がありました。

地元の方ならご存知の通り、40近い自治会が参加するそこそこ大きなお祭りです。

もともとは豊作を祈る”雨乞い”のお祭りで、

昔は必ず土日のいずれかは雨に祟られるのが当たり前でしたが、

ここ最近は晴天のもとに行われています。

今年は震災の影響もあって各地で中止が相次ぐ中、なんとか開催となりましたが、

終わってみれば、あんまり賑やかな印象はありませんでしたね。

こちらは地元下野谷3丁目の町内会館前の山車。

昨日お隣のWさん(この方のお父さんは町内会長を務めてました。)が来店されたので

「今年はあんまり盛り上がらなかったですね~」と聞いいたところ、

Wさん曰く、

「町内会の御神輿・山車は3時でおしまいだったし、

7時過ぎでほかの御神輿も終了だった。」とのこと。

こちらがここ3丁目の御神輿。

いろんなぱっぴを着た人がいたので、誰が誰やらわかりませんでしたが

ちょうどお客さんが店の前を通りかかったので一枚。

こちらは恒例の浅草・竜神会の御神輿。

規模はだいぶ縮小されていましたが、

なにはともあれ、本町通りのパレードも行われたし、屋台の数もそこそこ出ていたみたい。

同級生とも話していたのが”お化け屋敷”

今年も出たのかな~?(^-^:)

地震のない国から。

先日近くのしんきんへ行った際のこと、

振込終わって出てきたところで日系ボリビアのHくんとばったり会いました。

「ちょうど良かった。今度帰国することになって、挨拶に行こうと思ってたところでした。」

聞けば、H君の奥さんが今回の地震でノイローゼになってしまい、

急遽帰国することになったそうです。

(Hくんに会ったのが金曜日で、帰国は月曜日。)

「ちょっと揺れただけでもパニックになるし、

「荷物やらごみやらを片付けなくちゃならないので大変です。」

Hくんが最初に来店してから約20年経ちます。

そのときはまだ独身で、日本語もたどたどしかったのが懐かしい。

「向こうで生活していけるだけの仕事があれば問題ないけど、

「今は強盗やら殺人が増えて、とても治安が悪いし、

「一人で帰ってくるかもしれないので、そのときはまたよろしくお願いします。」

南米はチリとペルーの一部を除けば地震はありません。

我々日本人(特に関東)は地震に慣れています。

果たしてそれが良い事だとは思いませんが、

今回の余震程度では、「またか…」と思うくらい。

今回地震があって、津波がまざまざとその恐しさを示して、

その後原発の更なる恐怖を日々知ることになっています。

それでも我々はほぼ現在の土地から離れることはありません。

(被災者となって、いやおう無しに転居を迫られた場合は別ですが。)

フランスは自国民を帰国させるために専用機を出し、

隣国である韓国や中国の方々も帰国しています。

上海在住のU君曰く、

「毎日原発のニュースがTV・新聞で取り上げられてる。」とのこと。

とにかく今回は奥さんの不安感を静めることが最優先課題でしょう。

こちらは地震発生直後に撮影しておいた店内・周りの風景です。

台風以外での停電は記憶にありません。

電気を失って麻痺した店の中。

・ 

晴れた青空に消えた信号機。そして防災頭巾をかぶって集団下校する子供たち。

こちらはいつものディーラーさん”宮島商会”が寄付してくれたタオル6ダースと

手指の消毒液16本です。 

「まだ十分に水が使えないところもあると聞きました。」

うちは組合を通して支援金を送りましたが、

使い捨てにしていただいてかまわないタオルも4ダース送ります。

川崎ラゾーナ近くにある”川崎キリスト教会”の牧師先生たちが

先月一度仙台方面へ物資を持って行き、今回は第2弾を明日水曜日夜に川崎をたつというので

集めた物資を持っていっていただくつもりです。

「今、本当に必要としているところへ必要なものを届けたい。」

個人から集まったたくさんの物資を届けてくれるでしょう。

被災地のみなさんが復興に安心して向かえるように、

東電はしっかりしろよ~ほんと。

早いもので….

気がつけば3月も終わりですね。

春一番が吹いてからも寒い日が続いたり、

なんといっても未曾有の大地震。

地震に続いての大津波、そして原発と、

復興に向かって動き出すにはまだまだ課題は多いようです。

そんな中で、素直に「凄いな~」、

そして「嬉しいな~」と思ったのが世界規模の支援です。

いままで日本が地道に行ってきたことの裏返しだとしたら、

愛国心をくすぐられます。

大震災後、早い時期からお客さん方には影響が出ていて、

全ての仕事の予定が立たなくなったり、またその仕事そのものが無くなったりと、

被災地の方が直接被災だとしたら、間接的に影響があります。

いまだ過酷な状況にある被災者の方々に対して、

誰もが「自分に出来ること」を考える機会にはなりましたが、

原子力等、いろいろおきていることを思うと、

まだまだいい意味での「早いもので。」とは、とても言えません。

明日からは4月。

横浜では桜の便りが聞かれる今日この頃、

出来ることで頑張りたいと思いますね。

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液状化現象

今朝もTVで観ましたが、東京湾の対岸にある浦安市ではいまだに水道が使えない状態にあります。

今回の地震で改めて思わされるのが、”埋立地”のもろさ。

そういうここ鶴見も埋立地。

友人でお客さんのSくんが大黒埠頭で車関係の仕事をしていますが、

地震によるその揺れの凄まじさはもちろん、

揺れによる車同士のぶつかり合いで破損・要修理の車両が出たことと

もう一つは”液状化現象”による水・土砂の噴出に驚いてました。

ネットで探してみたら、大黒の画像はこれしかなくて、

Sくんの口から直接聞いた様子とはちょっとかけ離れてるようです。

深いところで「30cmくらいの段差」が出来て、「何百台とある車両が「水没するかと思った!」

今現在、社屋を建て替えてるN社のOさんが来店されたときに

「職人さんたちが鉄骨を立ててるのを窓越しに見てて、気をつけて~と声をかけたら…地震だよ~」

皆さんあわてて降りて誰も怪我することなかったと言うことです。

「土壌が弱いから、岩盤まで杭を打ったんだけど、とにかく驚くほど水が出る。」

お隣のWさんも3階建てに立て替えたときに、

「どこまで出るのか?と思うほど水がでてなかなか工事が進まなかったわ。」

そう、ここら辺はちょっと掘ると大量の水が出ます。

だからしっかり土台を岩盤まで打ち込んでおかないと、地震の揺れでは踏ん張っても

その後の液状化現象で倒壊する恐れが高いそうです。

ちなみに岩盤までは13~14mということですが、

長~く住むには絶対必要な措置だと、皆声をそろえて話してます。

今回の東北関東大震災も、地震だけなら踏ん張った可能性が高いと思います。

その後の2次災害~津波~原発~と、たたみかけるように災害が続きました。

まだまだ寒い日が続いてますね。

被災地の方々に暖かい日が来ますように。

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こどもたち。

すでに大震災から10日地あまり経過していますが、

以前震災の余震が続く中、少しづつ復興が始まっています。

今日はお墓参りに行きましたが、ガソリンは普通に入れることが出来たし、

お米も普通に買うことが出来ました。

ここ横浜でも、つい3日前までは、

スタンドに長い行列が出来、お米も玄米さえも無い有様でしたが。

被災地には大人もいれば子供もいます。

さきほど被災した中学生の女の子をTV観ましたが、

まだ幼い子供たちにはお姉ちゃんとなり、お年寄りには孫となって

いろいろとお手伝いをしていました。

見てる限り、それはとても自然な行為で、誰かに言われてそうしたとは思えません。

「今自分の出来ることをしよう。」

「では、何が出来るのか?」

そんなことが根本にあるように見えました。

子供は子供扱いをしてる限り子供のままで、

大人扱いをすれば、

大人、もしくは時にそれ以上の働きをするようです。

今回の経験が本当の意味で生かされるのはまだ少し先だと思いますが、

とても逞しく感じます。

決して子供は大人の小型ではありません。

それぞれ人格もあるから、傷つくときには経験の足りない分、

その傷も大きなものになってしまうこともあるでしょう。

そういうとき、大人が支えてあげれば、

より逞しい”こども”の心を持った人間になるような気がします。

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先日、ブログでも呼びかけした行方が分からなかった先輩ですが、

昨日来店されたお客さん(帰宅難民になったそうです。^-^:)が

「災害伝言板で分からないかな?手がかりがあれば何とかなるかもしれませんよ。」

と言われたので、まずは名前から検索しても表示なし。

次にカルテにあった携帯番号を打ち込んだら….

「無事です。ご心配かけました~……」と出てきました。(^-^)

きっとご家族の方が真っ先に安心されたでしょうね。

通常のペースだとあと1ヶ月もすればご来店されるはず。

こんな状況ですから分かりませんが、無事な顔を見たいと思います。

まだ余震は続く….お客さんの話より。

今日は閉店まじかに茨城北部で余震がありました。

ニュースでは母の実家(常陸太田)も震度5弱と出ていたので

いとこに電話をしたら、「今回はたいして揺れなかったですよ。」ということでした。

民放のほうもずいぶんとレギュラー放送に戻っていますが、

それでもときおり震災関連に時間を割いています。

今日もこの震災で少なからず被害を受けたお客さんがいらっしゃったので

そのお話をちょっと。

地震の当日、海外出張より帰国の路にあったところに震災があって、

成田の予定が関空になってしまい、その夜は神戸で一泊して、翌日新幹線で帰宅したというSさん。

震災当日、バイクで走っていたところにあの地震が。

後日配達で某TV局に行ったところ、エレベーターが止まっていたので

25階まで階段を昇っていたら、階数が上がるごとに壁はひび割れ、破片が落ちていたと話してたTuさん。

まだ記憶に新しいですが、今回発電所の電源を生き返らせるために

部下の方が機材をもって福島へ行き、無事に任務を終えてきたとTaさん。

(ニュースにあったように、実際に発電所の近くでの作業はS電気さんとK工だそうです。)

東電関係の仕事がストップしてしまったせいで、待機命令が出ていて、

「いつ仕事に戻れるか分からない。」と困っていたAさん、Tさん、Sさん。

大黒埠頭で海外への車の積み出しをしてる同級生のSくんが

「液状化で凄いことになってるよ。TDLほどじゃないけど、30cmくらいは水が出たかな~」

と話してました。

ほんと、浦安とか葛西とかどうするのかな?

今日初めてカウンセリングでご来店された女性の方は、”福島出身”で、ご結婚されて昨年こちらに越してきたそうです。

「福島市内だったので被害はありませんが、親戚が気仙沼にいるんです。」ということでした。

農作物からも放射能が出たということですが、拡散して多方面に影響を与えてるようです。

被災者の方々には続々と必要な物資が届き始めてますが、反対に住み慣れた故郷を出られた方も多い。

これから少しづつ復興されていくのでしょう。

そのためにもまずは物資の供給と発電所を一段落させること。

先日作業員の被曝可能量がいきなり2.5倍になりましたが、みなさんも不思議には思いませんか?

ちょうどそこに仕事がガス管の”非破壊検査”のIさん曰く

「10万μSならぜんぜん大丈夫ですよ。やばいのは40万μSを越えたときです。

「僕たちも気をつけて作業してますが、多少の被曝は避けられませんから。」

ということです。

色んな話が聞けて楽しいのですが、やっぱり安全な国に住んでいたいですよね。(^-^)

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放水開始 / 節電

今朝もよく晴れていますが、相変わらず強く寒い風が吹いてますね~(^-^:)

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昨日発表された、新しい東電の計画停電のグループ分けを見ましたが、

どうやら鶴見区の中でもここらへんは除外されているようで、新しい区分けが出てこない限り、

計画停電のお知らせはお休みしても良さそうです。(^-^)

いまや日本の一大事を飛び越えて、世界の一大事をなった”原発事故”。

性格にいえば、”津波による原発故障”なのかもしれませんが、

とにもかくにも、原子炉内の冷却が最大優先事項なのは

繰り返し専門家がおっしゃってるのでよく分かりました。

で、

先ほどから自衛隊によるヘリコプターでの放水(海水を落としていく)が始まりました。

先日仙台空港が使用可能になり、港も接岸可能になりました。

各国の援助隊が来日して活躍されているのでしょう。

でも、いくたの被災者を救い出した自衛隊には正直凄いと思いました。

今またインフラを整備し、陸路での援助物資を運送できるようになってます。

救助を待つ被災者の方々、もう少しだけ彼らに時間をあげて欲しいと思います。

さて、私の仕事、

いまや電気なしでは仕事が出来ない仕組みになってます。

予約を受ける電話もダメ、寒暖を調節するエアコンもダメ、ボイラーを管理するマイコンもダメ

お客様管理を兼ねているPOSレジもダメ、最新のトイレもダメ、

蒸しタオル機器もお湯が沸かせないのでダメ、もちろん証明もダメ、

幸いにここらあたりは計画停電から外れていることは前述しました。

なので、身近で出来る節電を考えてみます。

今日は晴れ間が広がっているので、大窓側の照明をカット。

外に向かって出してあるディスプレイもカット。

レジ台・商品棚のスポットライトもカット。

ボイラーのサーモも一番低い温度設定に。

こんなことくらいしか出来ませんが、それでもチリも積もれば….と。(^-^:)

お客さんにはちょっと暗い店内ですが、少々我慢していただきます。

ニュースによれば、世界から原発の専門家が日本に集合しつつあるそうです。

この危機を乗り越えれば、またそれが解決の方法をしてデータベースになるはず。

まずは冷却して、放射線濃度を下げれば、地元被災者の方々への援助もよりスムーズになるはず。

生命に関することなので、無理は出来ないのでしょうが

知恵を出し合って、より良い方法で対処してもらいたいです。

ps:

当店のお客様で今回被害の酷かった宮城・女川に単身で行かれてる方がいます。

高校の先輩でもあり、毎週金曜日の夜には、自宅のある横浜へ帰宅されてると話してました。

電話も通じず、いまだに安否が分からないのですが、

2ヶ月に一度は来店されていたので、ご無事なら来月の今頃にはお会いできるかもしれません。

出川さん、お無事でしょうか?

メルトダウン?

今日も朝から通勤関係で大変な混乱が伝えられてますね。

東電の発表も定期的に続けられていますが、いまいち歯切れが悪い気がします。

(ちなみに今日の輪番停電にはここは含まれていませんでした。)

すでに直接原子炉の補修に対処している職員以外は移動しているということですが、

”移動=避難”と同じ意味でしょう。

以前柏崎原発が地震によって多大な被害を受けたときに

お客さんが仕事で補修に行かれたことがありました。

「TVだと火災の場面とか、結構インパクトのある映像を放送してたけど、

「実際中に入ってみると、ほんとに頑丈に作られてるからそんなに心配することないよ。」

と話してました。

でも今回は事情が違いすぎると思います。

未曾有の地震で損壊した施設が起こす可能性がある中で

もっとも恐ろしいことは….メルトダウンして、

「放射能が外部に放出されて、汚染されて被爆すること。」

今回破損した原発施設を終焉させるには、

まずは冷却して完全に停止させて、最後はコンクリートで固めて

外部に漏れないようにしてから埋没させるしかないと聞いてます。

日本の原子力発電技術は世界でも最高レベルにあるはず。

どこまでが”想定内”だったのかは、東電の情報開示がなされてないので判りませんが

まずは冷却させることが最優先課題なんでしょう。

(アメリカにも冷却させるための技術要請をしたということです。)

海水を注入した時点で、この先もこの施設を継続して使用することはないのでしょう。

でも、

ここで日本の電子力発電に関する技術力を持って

これを終局させれば、いい意味でこれがこの先の対処法の一つとなるはず。

でも、何も知らされないまま被爆していたチェルノブイリの住民に

その後起きた出来事は悲惨なものでしたので、

なんとしても頑張ってほしいと思います。

現在被災してる方々が被爆までしないように願うばかりです。

輪番停電 / daily news

東北関東大震災(名前が変わったのは13日からでしょうか?)の影響で

東京電力が昨日発表した”輪番停電”が14日から実施されるようです。

関東と山梨・静岡の一都8県におよぶ東京電力の範囲を5つのエリアに分けて

一日の間で書くエリアごとに3時間ほどの停電になるようですが、

ここ横浜・鶴見区は第1・第4・第5エリアとなんと3つのエリアにまたがっています。

細かいことはまだ分かりませんが、この輪番停電が前日に発表されるようなので、

4月末まで続くこの停電情報を毎日ブログにてお知らせすることにいたしました。

(メルマガにてもお知らせします。)

幸か不幸か、14~15日は連休なので、直接営業には関係なし。

でも、

実際に3つのエリア全てでの停電を一日通してで行うとすると、

その日の営業時間は”3時間”くらいにしかならない計算になります。

仕事に関わるほとんどが”電化”されてしまっている今日、正直辛いものがあります。

でも、

被災された方々の苦労を考えれば、このくらいのことはいたし方ないと思います。

TVで見る限り、自衛隊の活躍は芽をみはるものがあるし、

日々各国からもどんどん援助がきています。

出来る限り早い復興を応援します。(^-^)/

念願の…..蕎麦打ち~

日曜日の閉店後、初めて”蕎麦打ち”を体験してきました。(^-^)

水曜日にお誘いを受けてから、結構ワクワクしていて、

「日曜日は早く閉店出来ますように!」と祈ってました。

その分、前日の土曜日

「入った予約は全て受ける!」

ということで、最後のお客さんが終わって閉店したのが午後10時過ぎ。(^-^:)

まあ、それもこれも蕎麦打ちをしたいがため。

「6時から8時まで。」と言われてましたが、

7時過ぎに会場に到着~結果的に参加人数(計32人)が多かったので

2回目の蕎麦打ちの最初から参加出来ました。

着いたところでいきなり

「ちょうどいいところへ来た~早速手を洗ってきなさい。」

だったので、途中での写真撮影はNGとなったのがちょっと残念。

説明書をいただいたのが全て終わって、茹で上がる蕎麦を待っているときでしたので、

講師のS氏にその都度伺いながらの蕎麦打ちとなりました。

まずは蕎麦粉ですが、S氏が山形から持参した挽きたての全粒粉(1~3番粉まで全部ってこと。)

つなぎは小麦粉が2割の、いわゆる”二八そば”です。

では、手順(レシピ)を簡単に。

1.水回し : そば粉とつなぎを十分に混ぜる~水を3回に分けてバラバラに混ぜていく~

         耳たぶの固さになって初めて練っていく。(楽しい遊びみたい。)

2.のばし : 延ばし板の上で打ち粉をかけながら手で全体を円形に延ばしていく~さらに延ばし棒で延ばす~

         棒に巻きつけて4回延ばす。(円形を保つのが難しい。)

3.切り  : 包丁の長さの7割くらいに折り返す~当て板の背に包丁をまっすぐ当てて、同じ太さに切る。(結構大変)

個人でやったのはここまで。

仕上げはS氏がおのおの打ったお蕎麦を手際よく茹でてくれました。(^-^)

(つまり、自分の打った蕎麦を自分で食べるということです。)

山形は、”板蕎麦”に代表されるように、少し固めの茹で加減だそうで、

結構噛み応えのある弾力の強い茹で上がりでした。

母の実家の茨城・常陸太田では、各家庭に必ず蕎麦打ちの道具が揃っていて

主婦が蕎麦を打つと言ってました。

(田舎に行った際、近くのそばやさんから取る出前の蕎麦やうどんも結構固めでしたね。)

で、蕎麦打ちでまず注意すべきは、”水を少なめにする。”ということのようです。

最初にざっくり混ぜて、続いてしっかり練る。

取っ掛かりは今回用意していただいたので、

これからは機会を作ってでも蕎麦打ちしますよ~っとな。(^-^)/

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