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大震災

常磐道を通って。その2

昨日(4/11)叔母の告別式に参列するために、先週の水曜日に続いて常陸太田へ向かいました。

混雑を避けるために6時過ぎに家を出て、給油をしてから首都高湾岸線大黒ICからイン。

思ったより交通量は多くなくて、約1時間で常磐道三郷ICへ。

その後順調に走り続けて、前回も地震の影響で破損箇所が多かった水戸ICへ差し掛かると

やはり修理のために作業車が出ていました。

さほど気にならない程度の渋滞(車線規制)はありましたが、

那珂ICで降りて、バイパスを通って叔母の家へ到着しました。

本当にこういったことがないと、いとこ達ともほとんど会う機会もなくなりましたが、

この日は他の親戚・友人たちもも集まり、昔話で盛り上がりました。(^-^)

道すがら、いたるところで地震の爪あとが残っていて、

さすがに全壊した家は見当たりませんでしたが、

瓦屋根は破損してるし、外壁が崩れて道路にまで広がっていたりと、

被害が東北だけにとどまらない様子がよく分かりました。

帰横する前に年長の従兄弟の家に寄ったところ、

瓦が落ちるだけでなく、壁にもひびが入ってたり、

地震の話をしていたところ、あの震度5強の揺れが来ました。

正直、立っているのがちょっとしんどい。

とっさに頭に浮かんだのは、

「常磐道が閉鎖されるかもしれない。」

揺れが収まったところで暇を告げ、走り始めたら

また大きな揺れが来て、ハンドルが取られました。

一路那珂ICへ向かう途中、空には大きな雨雲が現れたと思ったら

いきなりの雷雨&雹が音を立てて降り始めました。

街灯はほとんど無いし、夕方の渋滞が始まってるし

ほんと見にくいし走りにくい。

危ないとは思いつつ、とにかく高速に乗ることを考えて

一目散に走ったら….やはり閉鎖になってました~(-.-:)

仕方なく一般道を行くことになりましたが、そこには予想通り大渋滞が待ち受けてました。

遠くまで車のライトが続く中、いとこから携帯に連絡が入りました。

「柏ICまで閉鎖になってるから、6号線で地道に帰ったほうが良いと思う。」

私もちょうどそう考えていたところでした。

293号線から県道を経て6号線にたどり着くと、これまた大渋滞。

しかしここは3車線あるので、さっきまでのストレスは感じませんでいたね。

頭上に出てる”東京まで110km”というのは、ちょっとしんどいな~

土砂降りの雨は降り続いているし、道路は暗い。

実際、事故を2件目撃しました。

一つは玉突きのようで、3台の車がつぶれてる。

真ん中に挟まれた運転者はハンドルにもたれるように意識が無い模様。

「なかなか救急車も来れないだろう。」と思いつつ、気を引き締めてハンドルを握りました。

「柏まで行くぞ~!高速に乗るぞ~!」と思いながらも、相変わらず渋滞は続きます。

そういえば、あの大地震のとき、

「相模原を7時半に出て、鶴見に着いたら午前3時だった。」

というお客さんの言葉が現実味を帯びてきました。

ようやく”柏まで10km”となったところで6号線から294号線へ。

新大利根大橋を渡り、市街地らしきところを抜けてやっと柏ICへ到着~(^-^)/

その後はほぼ全速に近い状態で首都高を走って、11時半に帰宅。

つまり、”約6時間”かかったようです。(通常の3倍強)

無事に着いたことを従兄弟に連絡してから遅い食事をしました。

東北はもちろん、茨城でも震度3以上の地震は日常茶飯事になっているようで

「小さいのは慣れてきてる。」

と話してましたが、さすがに震度5以上はきついと思います。

被害がこれ以上広がらないこと祈るばかりです。

常磐道を通って。

今週田舎の叔母さんが亡くなったと連絡が入りました。

今日の午前中に荼毘に伏すということで、昨日(4/7)の閉店後、

母と共に21時に家を出て、首都高湾岸線~三郷ICから常磐自動車道を日立南大田へ向かいました。

約2時間を目処に家を出て、一部修理渋滞がありましたが順調に首都高を抜け、

常磐道に入ってから灯りの少なさに驚きました。

話には聞いてましたが、思いのほか暗かったですね。

地震の爪あとがところどころ残っていて、道路のつなぎ目は盛り上がってるところがあったり

修理のあと路面の色も変わっているところが多い。

目的出口の日立南太田より先はいまだ不通ということで、赤色灯をつけたパトカーが誘導していました。

一般道に下りてからが、これまた一段と暗い。

しかもいつも通ってる市街地へ通じる道路が全面通行禁止で、迂回路を通ることに。

ナビがあるものの、真っ暗な中で通ったことのない道はこれまた判断しにくくて

余分に数キロ走ったところで間違いに気づき、何とか国道へ出ました。

予定より30分ほど遅れて母の実家へ到着。

いとこ夫婦に出迎えられて、叔母さんに対面すると、まるで寝てるような顔に、内心、

「良かったな~」と思いました。

聞けば、

「震度2程度でも表へ飛び出るような人だった。」

あの大震災のときはすでに入院していて、さほど感じなかったようです。

東北ほど語られることは少ないですが、倒壊した家があったり、橋が落ちかけたりと、

茨城北部もかなりの被害が出ていて、余震も頻繁にあります。

そのことを知らないで旅立ったのは幸せだったでしょうね。

母はそのまま泊まり、翌日火葬場まで行きますが、私は仕事があるので

1時間ほど語らった後、いとこが、

「日立南じゃなくて次の那珂インターまで行ったほうが良い。」と言うので

バイパスを通り、再び常磐道へ。

前述の通り、来るときはは余分に時間がかかりましたが、

幸いなことに帰り道も全く眠気が無く、およそ2時間で帰宅しました。

週明けには改めて通夜・告別式ともたれるので、また常磐道を行くことになります。

まだまだ被災は続いてるんだと実感しました。

PS:

先ほど宮城・女川で被災されたお客さんで高校の先輩でもあるDさんから予約が入りました。

元気な声で安心しました。

土曜日にいらっしゃるので、ご本人からいろいろうかがえると思いますが、

まずは元気な顔を拝見したいと思います。(^-^)/

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