- 2011年4月7日 3:39 PM
- Colorz-O店長の日記
今週田舎の叔母さんが亡くなったと連絡が入りました。
今日の午前中に荼毘に伏すということで、昨日(4/7)の閉店後、
母と共に21時に家を出て、首都高湾岸線~三郷ICから常磐自動車道を日立南大田へ向かいました。
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約2時間を目処に家を出て、一部修理渋滞がありましたが順調に首都高を抜け、
常磐道に入ってから灯りの少なさに驚きました。
話には聞いてましたが、思いのほか暗かったですね。
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地震の爪あとがところどころ残っていて、道路のつなぎ目は盛り上がってるところがあったり
修理のあと路面の色も変わっているところが多い。
目的出口の日立南太田より先はいまだ不通ということで、赤色灯をつけたパトカーが誘導していました。
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一般道に下りてからが、これまた一段と暗い。
しかもいつも通ってる市街地へ通じる道路が全面通行禁止で、迂回路を通ることに。
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ナビがあるものの、真っ暗な中で通ったことのない道はこれまた判断しにくくて
余分に数キロ走ったところで間違いに気づき、何とか国道へ出ました。
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予定より30分ほど遅れて母の実家へ到着。
いとこ夫婦に出迎えられて、叔母さんに対面すると、まるで寝てるような顔に、内心、
「良かったな~」と思いました。
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聞けば、
「震度2程度でも表へ飛び出るような人だった。」
あの大震災のときはすでに入院していて、さほど感じなかったようです。
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東北ほど語られることは少ないですが、倒壊した家があったり、橋が落ちかけたりと、
茨城北部もかなりの被害が出ていて、余震も頻繁にあります。
そのことを知らないで旅立ったのは幸せだったでしょうね。
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母はそのまま泊まり、翌日火葬場まで行きますが、私は仕事があるので
1時間ほど語らった後、いとこが、
「日立南じゃなくて次の那珂インターまで行ったほうが良い。」と言うので
バイパスを通り、再び常磐道へ。
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前述の通り、来るときはは余分に時間がかかりましたが、
幸いなことに帰り道も全く眠気が無く、およそ2時間で帰宅しました。
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週明けには改めて通夜・告別式ともたれるので、また常磐道を行くことになります。
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まだまだ被災は続いてるんだと実感しました。
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PS:
先ほど宮城・女川で被災されたお客さんで高校の先輩でもあるDさんから予約が入りました。
元気な声で安心しました。
土曜日にいらっしゃるので、ご本人からいろいろうかがえると思いますが、
まずは元気な顔を拝見したいと思います。(^-^)/
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